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悲しき現実: いじめを引き起こす原因・なくならない現実


(出典 Pixabay:Alexas_Fotos)


いじめが起こる背景には様々な複雑な要素が絡んでいます。加害者と被害者それぞれの心理を理解することは非常に重要です。より深く理解することで、いじめがなくなることを願います

なぜいじめはなくならないのか。児童精神科医・佐々木正美さんは「友達をいじめる子というのは、うんと小さいときに親と喜びを分かち合うことがなかった、あるいはとても少なかったケースがほとんどだ」という。著書『子育てのきほん 新装版』(ポプラ社)より、一部を紹介する――。(第1回/全2回)

■「子どもが喜ぶことだけをしてあげる」重要性

お母さんがたに「赤ちゃんをどう育てればいいのでしょう」「なにをしてあげれば一番いいのでしょう」ときかれるとき、私はいつもこう答えています。

「お母さんは、子どもが喜ぶことをしてあげてください」

単純なことだと思いませんか? けれど、多くのお母さんは「喜ぶことばかりをしてはいけないのではないか」というふうにお考えになるようです。

けれどそれは違います。「子どもの喜ぶことをしてあげること」とは、その子がやがて社会のなかで生きていくうえで一番必要な「社会性」の土台をつくることだからです。

私は保健所などで行う乳幼児健診でお母さんがたの相談に乗ったり、またこれから赤ちゃんが生まれてくる妊婦さんたちにお話をする機会がたくさんありました。

精神科の医師として、生まれたばかりの赤ちゃんになにをしてあげればいいのか、どう接すればいいのかをいろいろとお話ししてきたのです。

ずっと言いつづけてきたのが「子どもの喜ぶことをしてあげましょう」ということでした。

こうした勉強会で出会ったお母さん、保健師さんのなかには、その後10年以上おつきあいがつづいた方もたくさんおられます。当時妊婦さんだった方のお子さんが小学校高学年になっても、勉強会に参加されてずっとお母さんとお子さんを見てきたケースもあります。

■「めんどう」より「楽しい」が強くなる

何人ものお母さんたちが、私にこう言いました。いずれも妊婦さんのころ私の話を聞き、赤ちゃんが生まれてもう10年たっている方です。

「この子がおなかにいるとき、“お母さんは赤ちゃんの喜ぶことだけしてあげればいいんですよ”と言ってもらえたことで、子育てがとても楽しくラクになったようです」

「どうしてでしょうね?」

ときいてみると、

「あれこれ忙しくて、赤ちゃんが泣くと煩(わずら)わしい気持ちになりかけることもあったけれど、“子どもが喜ぶことをしてあげるのが一番いいんだ”と思っていると、めんどうだ、と思う気持ちよりも楽しい気持ちのほうが強くなって、子どもが泣いても、あれこれ要求してきても、ほとんどイライラしなかったのです」

と言っていました。

出産後よりも、妊娠中にこうした話をきいたお母さんほど、育児にストレスをあまり感じず、スムーズに赤ちゃんと接することができていたように思います。

■記憶から消えても、心には刻まれている

「赤ちゃんが喜ぶこと」はなんでしょう?

あげればきりがありませんね。抱っこしてもらう、高い高いをしてもらう、もっと小さいころならおっぱいをもらう、おむつを換えてもらう、お風呂に入れてもらう、いないいないばあをしてもらう、お母さんやお父さんが面白い声を出して笑わせてくれる。赤ちゃんはどれも大好きで、してもらえばうんと喜びます。

でも赤ちゃんには「いまなにをしてほしい」と話すことができません。泣くだけです。新米のお母さんやお父さんはなにをしてほしいのかわからなくて、ときにはとんちんかんなことをしたり、オロオロしてしまうかもしれないけれど、それでもかまわないのです。

あれこれお母さんにしてもらったことを、赤ちゃんがずっと覚えているわけではありません。自分が何を求め、何をしてもらったのか、何をしてもらえなかったのか、なんていうことは普通、子どもの記憶には残りません。

けれど、お母さんが「子どもを喜ばせよう」と、一途に考えて育てた子は、乳児期をすぎ、幼児期から少年期になっていっても、非常に気持ちが安定し、思いやりのある子に育っていくようです。これは保育士さんたちも、「その通りだ」と口をそろえます。

■「喜びを分かち合う力」を育てる方法

私が非常に尊敬するふたりの研究者がいます。ひとりはアンリ・ワロン(1879~1962年)です。この人は、フランスの発達心理学者、精神科医で、教育者でもありました。20世紀を代表する心理学者のひとり、スイスジャン・ピアジェ(1896~1980年)とほぼ同じ時期に活躍した人です。

ワロンはこんなふうに言っています。

「喜びを分かち合う力を育てるということは、子どもが喜ぶことをしてあげる、ということだ」

私がずっと言い続けている「赤ちゃんが喜ぶことをしてあげなさい」というのは、こういうことなのです。

親が子どもをあやし、喜ばせること。しかもそれを親自身が喜びとしているということ。これが「喜びを分かち合う力を育てる」ことにつながるのだということです。

子どもが親にくすぐられたり、いないいないばあをしてもらったり、抱っこしてもらったりして、キャッキャと声を上げて喜び、親は子どもが喜ぶ姿を見て喜ぶ。この状態こそが、子どもにとって最大の喜びなのだと。

子どもは、自分をあやしてくれる親が心からそれを楽しみ、笑う自分を見て笑ってくれると、さらに喜びます。

子どもはこうした喜びを知ることで、人と交わることの喜びを知るようになっていくのです。

■大人の様子を赤ちゃんはちゃんと見ている

この感覚は乳児期の後期から少しずつ育っていきます。

ワロンは非常に詳細に赤ちゃんが発育していくプロセスを研究しつづけました。その結果、人間は乳児期の前半に「気持ちがいいこと、楽しいことを与えられるとうれしい」という感覚を持つようになりますが、乳児期後半になると「喜びを与えてくれる大人も喜んでいないと、楽しくない」という感覚を持つようになってくることがわかったのです。

大人がいやいや抱っこしたり、あやしたりしても、赤ちゃんはあまり喜びを感じないのです。逆にいえば、大人がうれしそうにあやしてくれると、大喜びするようになる。乳児期後半になると「自分が笑うと、お母さんも喜んでくれる」ということがわかるようになるんですね。

それが「いっしょに喜び合いたい」「いっしょに喜ぶともっと楽しい」という気持ちにつながる。これが「喜びを分かち合う」ということの出発点になるのです。

ワロンが、長年にわたる観察と研究の末に行き着いたのが「お互いに喜び合うことが、人間の最大の喜びであり、これが人間的なコミュニケーションの根源である」ということで、「この力は乳児期後半から育ち始める」という結論でした。

私もワロンの考える通りだと思います。

■自然と「思いやり」のある子に育つ

そしてもうひとつ付け加えるならば、喜びを分かち合う力が育てば育つほど、少し遅れるようにして悲しみをも分かち合う力が育ってくるのです。

悲しみを分かち合う力は意識的に「育てる」ものではありません。子どもが喜ぶことを喜んでしてあげるなかで、喜びを親子で共有することでしか育ちません。そうした時間を最初は親子で、やがて先生や友達と共有していくうちに、悲しみを分かち合う力は育っていきます。

他者の心の痛みや、悲しみを理解する「思いやり」は、ともに喜び合うことを知って、初めて育っていくものなのです。

しつけをする必要があるときにも、「いけないことをすると、お母さんが悲しむ」ということがわかるようになる。お母さんの「怒り」ではなく、「悲しみ」を理解できるようになるのです。「ああ、お母さんが悲しがっている」という気持ちが理解できることで、初めて叱られたことの意味も少しずつわかるようになります。

子どもが喜ぶことをしてあげていれば、やがて大声で怒ったり、怒鳴らなくても、自然にしつけもできるということです。

■なぜ「これが欲しい」と大声で泣くのか

「してはダメ」「これはダメ」と言うよりも「こうしたらいいよ」「こうしたほうがいい」とおだやかに、何度も根気強く諭(さと)し、そして待つことです。

「あれが欲しいこれが欲しい」と店の前で泣きわめく子どもを見ると、どうしてもお母さんは叱りたくなるでしょう。けれど、なんでそんなに泣くのかといえば「泣かなくては買ってもらえないことがわかっているから」です。

お母さんは「泣けば買ってもらえると思っているから泣くのだ」と思うかもしれないけれど、これは大きな違いです。その子には「泣かなくても買ってもらえた」という経験が少ないのです。おやつひとつでも、小さなおもちゃでも、「どれが欲しい?」「これがいい」と言って、それを買ってもらった経験がほとんどないのだと思います。

その子が泣くのは「このおもちゃがどうしても欲しい」からではありません。お母さんに自分の言うことをもっときいてほしい、ということなのです。

■「いじめっ子」は悲しみを分かち合えない子

ワロンの著作を読み返していると、近年とくにしみじみと感じることがあります。

全国の小中学校で「いじめ」が問題になっていることです。小中学校に限らず、高校、大学、会社でも状況は変わりがありません。

「いじめっ子」――友達をいじめる子というのは、友達と悲しみを分かち合う力がない子なのです。ほとんどのケースが、うんと小さいときに親と喜びを分かち合うことがなかった、あるいはとても少なかったという子たちです。

子どもを喜ばせることがなによりの喜びだ、と思って育ててもらった経験がなかったのでしょうね。喜びを分かち合うことを知らない子は、悲しみを分かち合うことができない。いじめっ子というのはその典型的な姿です。

■「いじめてはダメ」より伝えるべきこと

保育園などで、ほかの子をいじめる子がいた場合、私は「いじめられた子をなぐさめるのではなく、いじめた子を抱きしめてあげてください」といつもアドバイスをしています。

もちろんいじめられた子にもケアをしてあげる必要もありますが、もっと気をつけて見てあげてほしいのはいじめた子のほうです。「もうしてはいけない」と言うのではなく、「○○ちゃんも悲しいんだよね」と言ってあげるだけでいい。

ほとんどの場合、子ども自身もいじめることが楽しくてやっているわけではないのです。悪いということがわかっています。だからこそ「やってはいけない」「二度としないでね」という言葉は使うべきではないのです。乱暴なことをした子、いじめた子は、いじめられた子ども以上に傷ついた子どもだからです。

これは家庭でも同じことで、「そういうことをする子は大嫌い」「そんなことをしたらもう家においてあげない」というような言葉で叱ってはいけません。

そう感じさせる言葉を使わないでください。

叱ることがあってもあなたを見放したり、嫌いになったりはしないのだ、ということをなによりも伝えてあげてほしいのです。

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佐々木 正美(ささき・まさみ)
児童精神科医
1935年群馬県生まれ。2017年没。新潟大学医学部卒業。ブリティッシュコロンビア大学児童精神科、東京大学精神科、東京女子医科大学小児科、小児療育相談センターなどを経て、川崎医療福祉大学特任教授。臨床医としての活動のみならず、地域の親子との学び合いにも力を注いだ。専門は児童青年精神医学、ライフサイクル精神保健、自閉症治療教育プログラム「TEACCH」研究。糸賀一雄記念賞、保健文化賞、朝日社会福祉賞、エリック・ショプラー生涯業績賞などを受賞。『子どもへのまなざし』(福音館書店)、『子どもが喜ぶことだけすればいい』『子どもの心はどう育つのか』(以上、ポプラ社)など育児、障害児療育に関する著書多数。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

(出典 news.nicovideo.jp)

ma-zin

ma-zin

いまだにこんないじめる側を甘やかす屑がいるのか?と思ったら、  >1935年生まれ。2017年没   ああ、「いじめられる側にこそ問題がある」という思考が蔓延していた頃に現役だった輩ですか、どうりで。こんな古い考えをいまさら取り上げるなよ、と言いたいですね。

ゲスト

ゲスト

いじめなんて矮小化してるから何時まで経っても無くならない。傷害事件としてきっちり刑事告訴して実刑判決を出させて臭い飯食わせないとな。

パストラミビーフ

パストラミビーフ

どっかの『犯罪は病気なので、罰を与えるのではなくて治してあげましょう。つまり警察は悪』って言ってる洲が、犯罪者だらけで地獄絵図になってるって話する?

トージ

トージ

何故被害者よりも加害者にばかり寄り添おうとするのか?加害者に寄り添うのは罰を受けて償ってからでいい

トージ

トージ

>>「もうしてはいけない」と言うのではなく、「○○ちゃんも悲しいんだよね」と言ってあげるだけでいい。 こんなこと言ったら自分の行動が肯定されたと受け取って反省もせず同じこと繰り返すだけじゃない?

BCTA

BCTA

そもそも司法は私刑よりかなり軽い、社会を健全に保つ救済方法ですから、活用すべきですよ。文春の私刑で重すぎる刑が罷り通るよりよっぽど健全だと思うが

ちょっさん

ちょっさん

精神科医っておかしいのしかおらんのか。ここでよく見る和田とかいう、専門外のことに首突っ込んだ見当違いの作文で自身の頭がおかしいのを宣伝して回るようなのとか。

NGA

NGA

こういう物言いはしからない教育()とか実践してる歪んだ親に「いじめられた子を放置していじめた子を抱きしめよう」って悪意ある改変されて拡散されるものだって分かんないのかな?精神科医なのに

vippo

vippo

ごっちゃになりそうな記事だね。たしかに保育園とかそういうレベルならそういうものかもしれない。中高生くらいなら罰が必要になってくる。

りゅーせい

りゅーせい

プレオンは発想のおかしな精神科医を常に取り上げてないと気が触れる病気にでもかかってるのか?

水野みなと

水野みなと

イジメは人の不幸はおもしろい”という悪の思い込みからはじまります。この記事とは関係ない。

いじめ問題を凄く批判するのに職場では陰口言いまくりの親が多いこと。親が成長してなきゃ無理だろうな。

静かでジメジメして暗い所が好き

静かでジメジメして暗い所が好き

仏さまは、どうしようもない悪人をこそ救うという・・・みたいな思想を彷彿とさせる

tom

tom

この文章はじめ文系と呼ばれる人々の主張を受け入れがたいのは、〇〇はこうなのですってとこに科学というか統計とかの裏付けがなされているわけじゃなく個人の経験だけなんじゃないの?そうかもしれないけれど、他のファクターの影響は吟味し尽くしてるんすかって点

シュリ

シュリ

”昔は大人しい良い子でしたよ”が犯罪者になりまくってるのって、手のかからない良い子だからと放置して愛情不足にした結果じゃ無いの?虐めっ子ばかり構ってさ。

タネ

タネ

北海道旭川の学校のことを想い出してしまった。

ニック

ニック

被害者を追いやり加害者を守る異常性

バロス

バロス

これって予防法であって事後対応方法ではないよね。「いじめた子」には懲罰が必要だよ。

蒼志

蒼志

ホント、プレオンに寄稿する医者って頭おかしいのばっかな。

thousand

thousand

ちょっさん、まともじゃない患者たちを好き好んで診ようとする医師の精神をまともと言えるやろうか? 思うに、精神科医は当人がまともやないからなれるんやで。

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